人々は二千年前におきた『イエス』の癒しに神秘の思いを抱いているが、
現在あなた達の間でおきている癒しと殆ど変わりはないのである。
只一つ変わっていることは、「神癒の媒体」として使われているのが
「イエス」とは別の人物の場合もあり得るという事実である。
しかし癒すのは同一の神我である。


故に二千年前のイエスのみ業は奇蹟ではなかったのです。それは自然法則の成就にすぎなかったのです。 それは誰でも法則を満たせば現れてくる自然現象だったのです。 併し悩める者たちに奇跡的な救いを与えるのも神の御意志(宙)であり、 不治の病を癒したり解決不可能な人間問題を解決するのも神の御意志なくしてはありえないのである。

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                          『活力』 即ち生きるエネルギーは喰べものや呼吸の結果ではなく 宇宙の生命力の働きなのであって これが人間の存在に生気を繰り返し繰り返し与えているのである 『霊とは』 宇宙の全創造機構の働きである それは活動している神である この活動には 神の性質中にあるあらゆる要素が動員されるから その中には 天地創造の時に動員された成分が全部含まれているのである 『死や老朽』は 失敗や貧乏と同様に 人間の存在 即ち 本源からの働きの欠如にすぎない 『人間は神性原理の権化である』 言い換えれば 宇宙が個別化した者である 人間とは人格的神 即ち普遍的にして 非人格的なる存在〔神〕が体 (アダムのあばら骨=宇宙意識、故に体は"人の本"という) を具えて現れた者である 『実在の王国はわれわれの周囲にある』 この王国に移って行く為にわれわれがしなければならない事は唯一つ その王国を遠い処であるとするわれわれの観念を捨てることだけである 神の全てはあらゆる人々の中に在り 人々を貫き その周囲に実存する かつ人間自身がこの神の全体性の中に包み込まれている 人間はこの事実を只受け容れる他には仕様がないのである それを受け容れ それと調和して生きることによって 人はその事実に気付く 『自分を外部のもろもろの力』や 生半可な智識にも隷従させること無く 自分をよく統制し 表現することが生命の法則である 『何かを見て興奮する』とか わくわくするという事は その他のわくわくするものに 糸がビーズの中を通っているように 繋がっているということです そして自分の道はこれだ ということを示してくれるのがわくわくする気持ちですね そういうわくわくすることを まず自分の身近で今自分に与えられていて やれることをやることによって そこからさらに自分で考えもしなかったような 他のものと繋がっていきます すべての出来事は すべての他の出来事に繋がっています ですからあなたに起きる出来事というのは無限大にあります あなたの波動 バイブレーションが その内のどの出来事をやって来させるのかを決めるのです 『神への道』は 不知に 属せず 『物質の真の性質』を知る者は物理学者ではなくて 真の悟りに達した者なのだ イエス・キリストもこの事を 知っておられたために 追手の召使いの耳が 弟子の一人によって切り落とされたとき それを元通りにすることができたのです 『自分は一体何なのか?』 この質問を十分に納得がいくまで自分自身に課するがよい それは適切な問いである 故に自分の胸(ハート)と心とを奥深く探ることである そうすれば答えを見出すであろう 『神の無限瞑想』は たえず進化する創造の神秘で 私たちを取り巻いておられ どんな極大のモノの中にも そして又 どんな極小のモノの中にも 宇宙意識(神)の姿が現れている 万物は 一つの同じ隠れた素材(意識・生命・空・無・エネルギー)から出来ているのである 水滴は 世界が球形であることを現している 宇宙意識の遍在性とは こけや蜘蛛の巣の中にも 宇宙意識がそのあらゆる要素をもって 現れているということである
  
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諸王の神授権即ち人間の神性は宇宙における彼の地位(本来宇宙意識「神」に地位はない、何故なら、宇宙には『神の意識』しかないからです)から生ずる力を発揮することに在るのであって他人を支配することではなく万象を支配する法則(神の一人遊びのルール)の下に自分自身の王国の中で自分自身を支配することなのである『一都市を略取する者よりも自分自身の魂を制する者こそが偉大である』自内に於いて統治者であることが主の主たる所似である主人は自分が主人であることを云い触らしはしないキリストは自分の神性を見せつけようとはせず反ってすべての人々に彼ら自身の神性をよく悟らしてあげようとしたのであった あなたの顔が歓びで輝いても悲しみで曇っていても顔そのものに変わりはない別々の事情の下に別々に現れて見えるだけである肉体は病んでいようと健康であろうとそれにかかわりなく明々白々に霊質である従って変える必要のあるのは肉体の背後にある心の状態だけである意識が拡大してその本来の状態即ち神が全てであることそして又全ては一つであることを知る処まで行けば肉体は自動的にそのような状態を現すその時始めて肉体は神のコトバという光り輝く原質としての本来の状態に回帰したのである 現在の医学は遺伝病については以前とは全く反対の意見に傾きつつありますイエスがテンカン病みをいやされた時弟子達は本人かその親達が前に罪でも犯した報いなのですかと尋ねたところイエスの口をついて直ちに出た答えはこうでした『あなたたちが罪の存在を認めなければこの男やその親達は罪を犯したことにはならない』とそれが罪だと云うのはただ親達や本人の周囲の人達がそう考えるからなのですテンカンという状態と結びつけられている罪は本当は人間の思い込みによって間違った考え方をするという罪だったのです世の始めにおいて人間は既に一切のものに対する主権を与えられたではないか然りとすればその力は今猶人間の中にある筈であるその人間に対し外部の何ものかが支配する力を有っているとすればそれは当方がそのものに与えたのであるその力がその物或いは他の人より発する様に見えてもその力は依然として実は当方の中にあるのである何故ならその力が働くのも感じられるのも当方の心の中なのであるから従って他物或いは他者に対する自分自身の心の動反動を制御することこそが力の根本的秘密の一つであろう自分の心を完全という神の理念に完全に一致して働かすことこそは天と地における一切の力を掌握する基であろう。 理想実現の方法は何事にせよ理想を実現成就するには或る中心となる吸収点即ち理想とするところのものに思念を集中することが必要でありそれが真の原動力となるのであるあなたたちはいや人間はすべてこの原動力となる中心となることができる理想を表現しない限りいかなる事も実現するものではないかつては人間は皆自分がこの原動する中心であることを十分に自覚し神より受けた自分の相続財産と領分とを十分に自覚して生活しいわゆる天国という状態の中で暮らしていたその内ごく少数の人を除いては殆んど全部がこの神よりの賜物を捨て今日では大多数が人類の本当の遺産である自分の神性に全く無自覚になっているそれはともあれかつての日に誰かが仕遂げたことであれば今日でもそれを仕遂げることが出来るのであるこのことはあなたたちの周囲にあるあらゆる無数の生命と万象との背後にある原則であってこの生命とはあなたたち自身の生命やありとしあらゆるものをも含む何故なら宇宙に存在している物には砂粒一つであれ鉄の破片や微細な一個の粒子でさえすべて生命があるからである遠からずして科学者は物は物質ではないということを言明に十分な根拠を提供するようになるでしょう何故なら一切の物は到る処あまねく存在して波動に反応しつゝ完全絶対なるバランスを保っている無数の粒子を包含する唯一の根元素に帰することを科学は遠からず発見するでしょう この星の託宣は人間の慢心を戒める警告の針なのである神は人間にあらゆる束縛から自己を解放しようとする決意を促しているのである神は人間をそれぞれ個性をもった魂として創造されただから人間は現在のかりそめの生涯において社会的に指導的な役割を果たしていようと無名の存在であろうとみな重要な宇宙の構成要素なのである人間の究極の自由すなわち解脱はすでに確定的なものでありもし真に望むならばすぐにでも与えられるそしてそれは本人が外的ではなく内的な根深い自我にうち勝てるか否かに掛かっているのである 本当の霊的面から働く心は常に一切の物を観ずるにその奥にある完全なる実相を以てするのでありますその時偉大なる奥深き意義が啓示されるのであって何も特別な神秘というものはなく従って摩訶不思議も奇蹟もないのでありますこの低い意識から高い意識に移っていくということは不調和のみが支配している物質的なるものを排除しすべてが只美しく調和且つ完全であるキリスト意識になることを意味するのでありますこれこそが自然の生き方神が見給う生き方であり且つ又イエスがこの地上においてあのようにも美しく範を垂れ給うた道なのでありますその他のものはすべて不自然であり、利己的な道であり困難な道でありますそうと解ればキリストの道を生きることが非常にたやすく非常に自然になるのですその時私達はキリスト意識の中に入るのであります。 人々に内在する神の霊の全ては人々がこの霊の声を聞きハートを頑なにさえしなければ世の光となりこの光に従う者は闇を歩むことはないであろうそのような人は自分みずからが世の人々を生命の光に入らしめる門であることを知る(入るを求むる者多けれど、入ることなかるべし、永生に到る門は狭く道は峻しい)この門に出入りする者は久遠の平和と大いなる歓びを見出し常に今がその時であることを知るわたしたちは内在のキリストが人々の魂の扉を開くだけでありその中に在します霊が宇宙の如くに無限なる全能の宇宙意識であることに気づく宇宙意識(神)はあらゆる種類の病を溶融し変質せしめこの世の生活より罪(世の常識)の意識と罪(名称)の結果とを拭き清め完全なる神の英智の光を以て魂を照らし人生の闇黒より解放し且つ闇黒自体を解消して完全なる生命の光に至らしめるであろうかくして人は自然(自ら然り)そのものであるのみならず宇宙そのものでもあることを悟り個人としても絶対的なる完全なる相を開顕し又人類全体をも完全なものとして成就するであろう 生死という人間界の法則と人間が自らに課した自己限定に支配されるものだという誤れる信念から解放された瞬間一切の人間的自己限定はなくなり意志しさえすれば神の子にもなれるのです自分が神性であると悟った瞬間一切の制約より解放され神の力を有するようになるこの神性こそが人間が神と最も直接に接触する場であることを知るようになりますこの神性は外から各人の中に注入するものではなく各人に本来実在する生命そのものであることを人は悟り始めていますわたしたちが他の人の生き方を自分の理想として見ているとやがてそれがわたしたちの生活の中に根をおろし神性原理に従ってその通りになって現れて来るのであります罪の力を信じ罪の結果を実在と認める限り罪に伴う罰がわたしたちの生活に致命的な影響を与えるようになるでしょうしかしわたしたちが自分の場合であれ他人の場合であれ不調和に対するに正念を以てすれば種子蒔きの後に確実に生ずる収穫即ち霊的饗宴の準備をしていることになるのです 幸福は他人を幸福にすることの中にありますもしだれもがそうすればだれもが幸福になりすべてはうまくいくでしょうイエスが「何事も、人にしてもらいたいと思うことを人にしなさい」と言ったのはこのことですすべての宗教とすべての国々の統合はどうしても必要なことですしかしそのような統合は各人が瞑想によって自分の意識を神の意識に同調させその至福の流れの中に浸って神との一体感を経験するとき初めて可能になるでしょうその解決策としては神との融合即ち本来の人間の実相(意識)に還ることです神との同一を経験した人にとってもう他人というものはなくなりますこのような認識を一部の人だけではなくすべての人々がもつようになるまでは地上に真の平和(自由)は来ないでしょう この世でいくら出世してもいくら財産ができてもあなたの幸福感は満たされないでしょう何故ならあなたの心は永遠の幸福を求めているからです自分の内なる神を見つけて真の自己こそ神であることを知りなさい「自分はどこから来たのか?」あなたの知性が投げかけるこの最高の問いにあなたは確実に答えられなければなりません神や永遠の生命は単なる絵空事ではありません自分が滅ぶべき存在であると信じて死ぬことは自分の内なる真の自己に対する最大の侮辱ですいつまでも迷妄(肉体人間)の横暴を許して神の子である自分自身をみすみす死神の生贄にしてはなりません 人の世の塵に倦み疲れて郷愁に堪え難くなった時私達はふらつきながらも足を運んで父なる神の家に帰ることができるのですそれは艱難辛苦という路上で起きることがあるかも知れないし一切の物質的なものを喜んで放下することによって為されることもあろう自分の知能をどんな風にして獲得したにせよ私達は何れは『至高き処』よりの召命という目標に向かってどんどん進んで行くようになるのです一歩一歩踏み出すごとに強くなり大胆になり遂には決して挫折や躊躇することはなくなるでしょう私達は自分自らの内の魂の光耀を求めるようになるでしょうその時帰るべき家は実にわが内に今此処にあったことを悟るでしょうそれこそ私たちが『生き、動き、存在する』神聖なる遍在者なのです 私達はこれから毎日聖なる知覚を養う瞑想の気球に乗ってやがて来る宇宙への意識界旅行に対する準備をしておかなければならない私達は自我意識(迷妄)の幻覚のために自分を肉や骨のかたまりだと思い込んでいるが肉体はせいぜい苦悩の巣窟でしかない真の自分はいかなる不幸にも襲われることのない無限の存在であることを速やかに悟るためにたゆまず瞑想することであるそして瞑想の神秘の鍵を用いて肉体の牢獄を脱け出し本来の自分たる無限の空なる"神"の静寂の中に戻るのである 死を恐れてはいけないと言えば皆さんはどう思われるのでしょうか?死とは肉体がこの世から消えてなくなるつまり自然界に還元されることを死と言っているのではないでしょうか大抵の人々は死といわれる体験を恐れているしかしこの体験を通過してしまえば自分自身がこれまで以上に生々とした生ける呼吸する魂であることに気づく呼吸をするのは肉体ではなく魂だからである死は神我すなわち神の中において生長しかつ咲き出でる花のより大いなる拡大への関門にすぎない自分自身がそれまで以上の生ける生々とした呼吸する魂であることに気付くと圧倒される程の感銘を受けるその時に思う一つの願いは自分の愛する人々の許に帰り自分が発見した驚くべき栄光の真理を聞かしてやりたいということであるそのような次第で多くの霊たちがあなたたちの許に一旦は帰ってきたもののあなたたちの耳は聞かず目は盲いていたのであるあらゆる人々がこれと同じ体験を経なければならないこのことはいわゆる死の体験を通過した人々にとっては歓喜びであるあらゆるものが体験することになっているこの歓喜は肉体感覚では理解しえないものである



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すまれさ出が「答解」てっよに力るな裡のら自 ?かのな要必に当本は養供祖先 きとたれら得がえ答のそ、てし求追を分自の実真 し究探を理真ら自をみし苦み悩、なうよのそ 汝るた我るれらおでん悩で養供祖先、てしそ 汝るた我るいてれた持を問疑に生人 汝るた我るいてれさをしがさ分自在現 いさ下覧ごを"分自の革変"のジーペムーホ はとこのそ すでのたきで解理が味意のそ てっよにとこるす求探を"理真"ら自、てしそ たしまし中集みのに力努のめたる得を答解のそ ?かのもるな何如はみし苦み悩すらたもに間人、で因原がとこなうよのそ ?かのるあに処何は因原のそ ?かのるこ起故何が事なうよのそ ?かのな何体一はのもるす盾矛のそ ずら配を気はにとこの外以れそ は我るた汝いた得を答解のそもてしうど、しかし たっかなきで解理はに私、の(六小歴学)頭スカンポ ?かのな旨趣の・・・ "ずら創を人に下の人、ずら創を人に上の人は天" がとこたし盾矛な様のそ かのう合し殺が士同間人じ同故何は人、てしそ 見偏や別差るいてし行横に的界世、にれそ るいが人乏貧、ばれいが人な福裕 るいが者害障、ばれいが者常健 もでに処何中界世ばせ渡見を中の世、しかし るなにとこう言とだ等平なんみは人、はとこう言と・・・ う言と "ずら創を人に下の人、ずら創を人に上の人は天"

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(*^_^*) (^o^) (^_^)v 神が可視不可視の一切のものの総計である以上神の他には何も無いのであるからこの無限者である神の像には一切の空間と時間とが包含されています従って神は人間をただ神おんみずからの像に似せて或はその範囲内において創造しうるのみです何故ならその他に人間を創造しうる場所と云ってはないからです丁度人間の想念が人間の心の中に存在し且つその不可欠の一部として存在している様に人間は神の像そのものの中に存続しているのです人間はこの神の像の中で創造られただけではなく云いかえれば神の全体の中に包摂されているだけでなく神に似せて神の本質そのものによって創造られているのであります原因が神であれば結果も神の現れです原因と結果とは同じでなければなりません心のない想念や想念のない心というものが一体あり得るでしょうか(*^_^*) (^o^) (^_^)v あなた方の求めるもののうちその一つについて二人が神と結びつくならわが父なる神が二人のためにそれを仕遂げて下さるわたしの神があなた方の神となりかくてわれわれは一体なのである神と共であれば神にふさわしくないものは征服される自分の密室(神我)に行き他の一切のものに対して戸を閉し外なる目を閉じ汝の真の神我を一筋に観よ今や汝は静かに霊的受身の態勢に入ったのである神なる原理が中心であるわたしは普遍的生命エネルギーと一体である今やこのエネルギーがわたしの中を流れつつあるわたしはそのことを知り且つ感ずるわたしに一切の物事を成就する力のあることをわが父なる神に感謝し奉る普遍の生命エネルギーに直接接触している神我を以て神に祈るときあなた方はこのエネルギーを無限に使用しているのである神とは英智に満てる霊に対して人が与えた名前なのですこの霊は人間の外にもまた中にもあるこの神を自分を通して外に顕現させることがあなた達にとって必要なのです従って一切の知識の根源一切の知識の真髄真理が自分の中に潜在すると知った以上外部から知識や援助を求めることは不必要である神即ち普遍霊が内在するのに何故知識を外に求めるのかこのことを悟得したときあなた方が何か一つのことを仕とげようとする場合に父の為し給うたことをこの原理を思い起こすがよい内在の神こそあらゆる教師の中の最大の教師である (*^_^*) (^o^) (^_^)v 生命に完全に触れる為には私たちは各瞬間ごとに生命を完全に表現しようと欲求しなければならないこの表現欲が同時に表現を駆り立てるものとなるのです地上の塵埃の中を這い廻ることに倦むとやがて人は天駆けることに憧れるこの憧れが現在の制約を超剋することを可能ならしめる法則の発見へと私たちを誘うのですそれを発見すると私たちはもはや時間・空間に制約されることなく何処へでも自分の欲する処へ行けるようになるのです昔から人間は計画し神が処理し給うといわれていますが実はその逆が真なのです何故なら神が計画し人が処理するからですもし人間がその気になれば神の為すことすべてを為し得るのです父の為し給うたことを子も又為し能うのではありませんか (*^_^*) (^o^) (^_^)v 私たちは神を宇宙意識とか聖なる喜びとか聖なる存在などと呼ぶことはできますが神は心ではありません心は宇宙(空間)に遍在する神の全容をとらえることはできませんがしかし神を感じることはできますその存在を感じることとその全体像をとらえることとは別の経験ですちょうど波は海全体を知ることはできなくても両者の間には接点があるように無限の神が有限の姿で現れるときもそこには超意識の心という接点があります心はこの接点で神を感じることができますすなわち神の存在は私たちが心を通常の自我意識状態から超意識状態にまで拡大したとき実感として自覚することができるのです (*^_^*) (^o^) (^_^)v 人間は自己の本性を深く悟れば悟るほど自分の霊的波動によって全宇宙に働きかける力が増し自分自身もまた環境の力の影響を受ける度合いが少なくなる (*^_^*) (^o^) (^_^)v 人、その面(おもて)を上にさえ向けんかすべての嵐と戦いの雲の背後に神を見るべし嵐の雲も戦いの雲も神の造りしにあらず人の造りたるものなるを知るべし更にその彼方を見んか神の御手常に平和の裡に挙げられてあるを知るべし戦争は神の造りしにもあらず定めしにもあらず人互みに斗う時人は全く神の領域神力の埓(らち)外にあり然る時神といえども如何ともなす能わず彼ら全く自らの造りし領域に埋没しぬかくの如き争斗の誤りをさとるまで現状のまま続行せざるべからず人、神の力を強く強く理解し神の力に協力する能力の本来おのれに備われるを知り且つ協力を実行せばこの画面に於いて汝等観しが如くに直ちに戦争を停止し得るなり (*^_^*) (^o^) (^_^)v 人間の内なる神我の持つこの全能且つすべてを変質する秘法に近づく門は常にすべての人に解放されており開門の鍵はすべての人の想念の中に在るのである理念や救いや神の恩寵に預かる方法が二つに別れて相異なるともその原因は人間の考え方にあるのであって神にあるのではない神の子等すべてへの神の祝福に対し門戸を鎖す者は神我なる神の子に直接神の与え給う祝福より自らを隔離し宇宙意識の形而上的秘法のもたらす霊的光耀とおのれが神我として用いるようになり克又用いるべき全能力とより自らを断絶する者であるこのことを人が知ったとき癩者も忽ちにして癒え萎えた手も元の如くになり人に触れただけでその人の心身の病は全て消え失せてしまうであろう又言葉の集中によってパンや魚を殖やし群衆のためにパンを割き油を注ぐとも些かも減ずることなく反って豊に余るであろう又荒れ狂う海や嵐に命じて鎮め地球の引力も消して浮揚するであろう更に又あの日わたしが神殿を出て後のわたしの一生の教えの第一声となった『時は満てり、神の国は近づけり』『神を信ぜよ、然らば不可能なるもの無かるべし』と語った時のわたしの思想が分かるであろうわたしと同じ業を為し得ると信じて進み出てそれを為す者はわたし以上の大いなるみ業をさえ為し得るのであるそれは神の生命を生きること信ずること知ることの自然の結果であることが解るであろうその時もはや為し能わざるものは絶対に何物もないのであると言うことをことを悟るであろう(*^_^*) (^o^) (^_^)
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(^_^) (^o^) (^-^) 『吾神なり』との悟りは 人間が彼自身〔神我〕について 持ち合わせている感官に属するものではなく 至上魂より投映された理想人間に属するものである 従って賢者は俗人に対して 『吾神なり』と公言した事など全くないのである 賢者方は只自己自身の内部に於いてその事を覚知し 神の前においてそれを認める丈であって 世俗の前では口を以て語ることなく おのずからにして現れる事実を以て表明し 自然と大衆に解る様にした これが『契約の櫃』 即ち 創造者と非創造者(意識=無・0と意識=有・一)との間にある 秘められた関係を黙って受け容れること である (^_^) (^o^) (^-^) 何かの教えを伝える場合大抵の教師が考える事は おそらく自分の教えを明瞭に伝える事でしょう その点 教えは常に全一のものとした方が善いのです それを細かく別けてしまうと 大抵はその別けられたものを属性と思い込んでしまうことです だからわれわれの目は只一つのものばかりを見詰めている方がよいのです 細別ばかりしていると人は消極的状態に陥ってしまいます 細別したものは「象徴」みたいなものであって 逆に云えば「象徴」なるものは全て意識を細別したものを現しています 「象徴」だけではもはや十分でない理由の一つはこういう処にもあります 周知の通りもうわれわれは「象徴」を卒業したのです われわれは「象徴」という曖昧なものを卒業し 純白昼光の如き 全体これ明々白々なる意識の中にあるのです 従って このような意識を小さく区切る愚かさを犯さず 彼も又すべてを知り見透すようになる 彼の完全なる白光にも比すべき 全一なる意識を自分の目標とした方が事は遙かに簡便なのであります (^_^) (^o^) (^-^) われわれが色々の『心』(複数)と称しているのが 実は考え方の相違にすぎない事をここで キッパリと明らかにして戴きたい われわれのいわゆる心として働いているその心は 実は本有の霊的な力が人間の中で 歪曲され 低い目的の為に 最低の力で働いているものである 人間が 『人間の背後にある神の想いを思う』ならば 彼の心は霊化される 即ち その本来の分野で神の想念で以て働く事になり 彼は神の考える通りに考え 否もっと正確に云えば 考えるのではなく神が一切を知り 見通し給うが如くに 彼も又すべてを知り見透すようになる 人間心はアレカコレカと考える 併し 神の心は初めからすべてを知り尽くしてこうだと 知っているのである (^_^) (^o^) (^-^) 人類の悩み苦しみの最大の根本原因は 本来はない私たち人間の心がつくり出した分離感と差別である ・・といっても過言ではないでしょう わたしが宇宙にはいかなる分離も差別もないと云えば 恐らくあなたたちにはその意味が十分には解りかねるであろう 分離信仰の中にのみ差別があり そのために分離を感ずるのである 従ってあなたたちは分離を惹き起こすあらゆるものをよく見分けなければならない 差別を見ている時は分離の中に生きており 感覚人間として生きているのである 差別を見れば分離を感ずる これは大いなる迷いである 差別は心の産物である しかしあなたたちは神我の中には何ら差別のないことに気づくであろう あなたたちの裡なる神我には差別はないのである あなたたち一人々々そして全員の中にこの同一のみ霊がある このみ霊の中において始めてあなたたちには力があるのである 何故なら 何ものもそれを攻撃することはできないからである 自分の生活において今それを自覚し無礙自在となるがよい これが真理という自由 あなたたちを自由ならしめる真理である この真理は神の意識的な顕現である 彼はすべてのものを意識し創造力を自覚し 世界におけるありとしあらゆるものを意識し 一人々々のそしてすべての個人に内在する彼自身を意識しており 彼の中には何らの分離もない 彼のことを知る前に あなたたちは誤れる分離信仰 憎悪を生じさせる信仰 何ら基礎を置かぬ信仰を自分自身から除き去らなければならない 今の今あなたたちやわたし自身の中において働いておられる唯一久遠の真理を把握するならば 分離した信仰など持てるものではない それならあなたたちは 自分の兄弟姉妹より自分を引き離す信仰について行くことができるだろうか 自分自身でありながら自分の本質が解らないこの摩訶不思議な自分 人類が今生なさなければならないことは"自分"を知ることである 自分を知ったとき すべてを知ることができる (^_^) (^o^) (^-^) 人間的考え方によって造られたあらゆるものを放下するのを拒むならば 『法則』がその進歩に介入して 蓄積された彼らの自我的ヴァイブレーションが 彼ら自身に反射するがままにさせる するとあらゆる面に戦争 闘争 不調和や自然災害が起こって その種族又は国民は消されてしまう しかし実はそれも彼らを創造の新しい上昇過程におくためである かくして人間は人種の意識の始まる以前より実存していた実在に 新しく接触してやり直すことが出来る 今や文明は偉大なる再建の瞬間に速かに近づきつつある 今は基礎が安定しているように見えるものでも すべて遠からずして逆転の状態に置かれるであろう 『真理』によって植え付けられてはいない樹木は すべて根こそぎにされよう 現在の社会 政治 経済 宗教 制度の完全な宇宙的転覆が近づきつつある それは現在の人類意識の出現以前に既に実存し 今猶実存するところのものに人類がより一層接近するように 新しき世紀を出現させる余地を造るであろう 常に実在しつづけた意識を自分自身も又包蔵し それと同じ意識になれることを人間が悟るまで 注意深く 愛と光に満ちた慈愛を以て 真理は待ち続けるであろう (^_^) (^o^) (^-^) 生命の働きの一特徴は新陳代謝である 一瞬の休みもなしに古き細胞を還元し 新しき細胞を再生しつつ 全体としての生理作用を維持し 而も心身の鍛練によって生命の機能は更に増大していく 仝様に人間の集団 社会 国家に破壊作用が行われていても それはより高き次元より観れば より新しき よりよく機能する集団として 更正するためのものである場合もある (只このような更新作用が神我の自覚より出るか出ないかによって更新の仕方の良否 犠牲者〔犠牲ということばは適切なことばではない〕の数の無・多が決まっていく) (^_^) (^o^) (^-^) 汝は天上 地上 若しくは水中にあるいかなるものをも彫像として 崇拝してはならぬ 森羅万象の いかなる質料をも本尊 乃至 偶像としてはならぬ 一切の創造的質料は宇宙意識(神・原因)が 汝に使用せしめるため 最大限度に押しつけてまで汝に与えてあるからである 汝はいかなる被造物に頭を下げることも それらに仕えることも要らぬ かくて又 妬むものとてなく また汝の後代の児孫に累を及ぼす罪 乃至不義とてないであろう 何故ならば 汝は常にその目を第一原因にのみしかと向け 毅然として立つからである 宇宙空間には 第一原因者のみがあり 結果はすべて幻である 然るに かの第一原因なる汝の理念は減ずることはない かくして汝は吾が汝に現したると同じ愛を示現する この究極因者 即ち統御因者こそは 汝の父にして母である その故に汝の生きる日々は数知れぬ浜の真砂よりも多きことを知り この究極因者 即ち統御因者を崇敬するがよい 汝は傷害・破壊・殺害を欲してはならぬ 一切の被造物は汝が創造したものだからである 彼らは汝の子ら 汝の同胞であり吾が汝を愛するが如く 汝もまた彼らを愛するのである (^_^) (^o^) (^-^)
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わたしたちが誰かと語る時 或いは語ろうとする時は インスピレーションを伝えるのではありません それは本当のインスピレーションが 受けられるようになるまで 導いて行く一種の教えなのです 神から直接来て あなた方を通して 神の現れたものがインスピレーションで それを受けるようになった時 あなた方はわたしたちの仲間になったのです 花の種子の中には 花の理想的な相が微細な点に至るまで既に備わっていて 時々刻々の営みによって拡がり 殖え 伸び出て来て 遂に完全な花となって咲き出ます そのように神も 亦その子等すべての理念像 神の表現媒介となる完全なる相を 聖心の中に保持しておられます 現象我は感覚の幻影である しかし真の現象我は聖なるみ霊が日常の行為に現れた相である イエスが弟子たちの間から身を引いて始めて イエスは現象我という幻影から解放されて 彼らの許へ行くことができたのである イエスの弟子たちを文字通りに大使徒誑しめたのは この内部感覚だったのである なぜならば この内部感覚があるからこそ 且つ又この内部感覚によってのみ 今啓示している真理がいかに重要であるかを わたしたちにも悟らせることができるからである わたしたちはイエスという現象我を考えてはなりません 又このような現象我を想像してもなりません そうすることは神我という真理について わたしたちを盲目にするからである 神我は父の一人子あらゆる現象の背後にある力である 言葉が太初にあった その言葉は神とともにあった その言葉とは即ち神という言葉であり 肉となった言葉であった あらゆる現象我が わたしたちの心から消えて 始めて神我という実在を見ることができるのである このことがイエスの云った 「あなたたちがやって来て見たのは何か。ただの人間である!」という 言葉の意味なのである 神我は人間的感覚や外部のものに反応して語ることは決してなく 常に神より語る 外なるものを静めるには このことを学び取らなければならない 葡萄の木の枝に良き実をみのらすために 父なる神は葡萄園で働き給う わたしに留まり わたしも又当人達に留まる 人々は豊かな実を結ぶであろう この故に あなたたちがわたしに留まり わたしの言葉があなたたちに留まるならば あなたたちの求めるものは 何でも叶えられるであろう わたしが話してきたことの重大な意味を あなたたちはまだ把握してはいない 神我は決して哀願はしないし 要求もせず 命令もしない 神我はただ顕現するだけである なぜならみ業を為し給うのは神であることを知っているからである 奇跡は通常 法則に外れた または法則を超越した結果 あるいは出来事と考えられている しかし精密に調整されているこの宇宙の出来事はすべて 法則(神の御意志)に基づいて遂行されており 法則的に説明できないものはない 偉大な聖者たちの"奇跡"を行う能力は 意識(神)という内的宇宙に働く霊妙な法則を正確に理解していることから当然生ずるものなのである 深く考えてみればすべてが奇跡であることを除いては 真に奇跡と言えるものは何もない 私たちが皆この複雑な構造を有する肉体に宿り 無数の星に混じって宇宙空間を旋回する一天体の上に生存しているということ自体 すでに普通ではない奇跡的なことではないでしょうか イエス・キリストと同じような偉大な予言者たちは普通多くの奇跡を行っている これらの大師たちは人類のために果たすべき大きな しかも困難な霊的使命をもっているのである 併し悩める者たちに奇跡的な救いを与えるのも 神の御意志(愛)であり 不治の病を癒したり 解決不可能な人間問題を解決するのも神の御意志なくしてはありえないのである 神我とは神の勝れたる神人である キリストとは地上における すべての人々の魂を包容する神人である 一ヶの肉体の中に無数の細胞が生存するように 私たち一人々々が神のキリストの中に生存している 神の種子が私たちの中にあって それが生長して円熟するのは間違いないのである 私たちが朧気ながら本当だと考えていたことが 現実となることほど大きな歓喜を味うものはない 失ったものは何ひとつもなく 新しき悟りによってすべてが獲得されることに気付く 一切の誤れる信仰が脱落するとともに新しく身に付いた 無限感に人々は圧倒されるであろう どのような形で自分の肉より離れたにせよ 人間は依然として生きた魂なのである 自分は依然として自分なのである しかもこれまで愛した人々みんなの中に 今まで以上の大きな愛と引きつけるものと 理解とのあることに みんなは気づくであろう 愛の中には何ものも失われはしないからである 大宇宙のあらゆる現象は キリストを顕現させるために父の創造った行為の場なのである 故に私たちが神の愛のためにものごとを為すならば倦み疲れることはない 何事をなすにも父の愛のために為すがよい キリストは天と地におけるあらゆる力の秘訣を私たちに与えつつある 私たちは与えられたものをしっかりと掴み 今それを受け容れ それにもとづいて実行するならば まこと私たちはそのかずかずの効果を 即時に自分の生活の中で実見し 何も明日 或いは一年先まで待つ必要はなく 今その効果を実感するのである 故にあらゆる物事を父の愛のためになさねばならない 宇宙では各惑星がそれぞれの軌道を運行している 天空(父の創造行為の場)におけるあらゆる運行は父の驚嘆すべきみ業である しかし この同じ力が聖なる愛と力 即ち各人に内在する神我を顕現することに全面的に 没頭し得る心を通して自己自身を表現しようとして 待機していることを人々は殆ど知らないのである 本物は何ひとつ失われはしないのである 神我が私たちの唯一の実在であり 久遠なる神の子等である いかなる愛も失われることはない 愛は神の表現であり それを包む衣裳(身体)を通して注がれる このことが解り始めると 実は神の愛が個々の魂を通じて 御自身を表現しつつあることを 地上のすべてのものが知るようになる 身体は生命が物質界に顕現れる媒体としての衣裳である この衣裳を軽蔑してはならない その中にある巨いなるこの力を知った上で それを神我に献げるがよい この衣裳を神我に献げれば それは内なるものの如くとなり 内なるものは外なるものとなる かくして私たちは生れ変るのである 今度は肉によるのではなく 人間の意志によるのでもなく 神のみ霊によって生れ変るのである いにしえの聖賢たちは 宇宙や人生の 諸問題に関する 膨大な数の論文を書き残しているが 彼らは それが歳月とともに 時代遅れになるような ものではないことを知っていた しかも 後世の歴史家たちが驚いたことは それらの著者たちが 自分の名前や時代を 書き加えていないことである 聖賢たちは 自分の短い一生が 永遠の大生命の発する 一瞬の閃光のようなものであり 時代を超越した真理に 個人的なレッテルは 無用であると 考えたのである 裡なる神我に 栄養を求めるものは強くなる それは何ものも外部から攻撃することのできない 真理という 岩の上に建てられた家である あなたたちの中に宿っている わたしの沈黙の愛を求めよ すべてのものを愛せよ すべてのものを愛を以て祝福せよ そうすればわたしはあなたたちをその百倍も祝福しよう あなたたちが愛を以て祝福する時 わたしはあなたたちの中にあって歓喜ぶからである あなたたちが愛する時 わたしはあなたたちの中で働いており あなたたちの傍にいる わたしは愛だからである あなたたちの愛に対して利得や報酬を求めてはならない 又あなたたちの愛を人々の前で見せびらかしてはならない ひそかに愛を為せ 人を喜ばすためではなく神の愛のために 手の届く限りのことをすべて為せ 聖なるキリストは父の意識的な顕現れである 彼はすべてのものを意識し 創造力を自覚し 世界におけるありとしあらゆるものを意識し 一人々々のそしてすべての個人に 内在する彼自身を意識しており 彼の中には何らの分離もない では、あなたたち一人々々そしてみんなに内在する この聖なる神人についてよく考えるがよい 彼は男女両性であり 彼自身のみで完全である 彼のことを知る前に あなたたちは誤れる分離信仰 憎悪を生じさせる信仰 何らわたしに基礎を置かぬ信仰を自分自身から除き去らなければならない あなたたちが今の今あなたたちやわたしの中に顕現れつつある 唯一久遠の生けるみ霊についての真理を把握するならば 分離した信仰など持てるものではない それならあなたたちは 自分の兄弟姉妹より自分を引き離す信仰に ついて行くことが出来るでしょうか 地上生活に あまり強くしがみついてはならない なぜなら それは裡なる神我の生長する上での 一準備楷梯にすぎないからである 地上生活とその中に在るものに 余りにも執着しすぎる人が多い これら地上のものは賢明な 用い方をすべきであって それにしがみついてはならないし しがみつかれてもならない それを活用して 更に 一層神我を展開して より大いなる強さと 力と 栄光とを得させるべく あなたたちを備えるために それは在るのである あなたたちを取り囲み あなたたちに抵抗するように 見える闇は あなたたちの中でわたしが生長する 手段なのである (神は人体を通して生長する〔宇宙の拡大(膨張)〕) 恐れるな わたしは征服者だからである 悲しみや困難に遭っても 喜んでそれに挨拶するがよい それらを通じ それらを克服することによって あなたたちはわたしの中で 生長するからである 神のみ言葉は神のお考えである わたしはそのみ言葉 肉の中に生まれ 肉の中で花咲 肉の中より生長して父と共に永遠に生きる これが全人類の行く 道である 人は 真っ先に 自分自身の誤ちに気が付けば 他の人々を 前より一層よく理解するようになる 私たちは これまでとかく人々を 批難しがちであった 自分が批難されないためには 人を批難せぬことであり 先ず 己が目(まなこ)より梁(うつばり)を 取り去るがよい そうすれば 相手の 目の棘(とげ)の取り方も 前より 一層解るようになるでしょう 英知は いにしえの啓示を ただ読むだけではなく真に悟ることによって得られるものである あらゆる問題を瞑想によって解決しなければならない 無益な思索によらず 神との霊交によって解決するよう努めるのである 心の中から教条主義的神学の垢を取り除いて そのかわりに 直覚という新鮮な癒しの水をくみ入れなさい 自分の意識を内なる案内人に同調させれば 人生のあらゆる問題に対する答えを得ることができるのである 人間は 自分の身のまわりに悩みや問題をつくり出す天才で つぎつぎとつくっては飽くことを知らないが 神もまた 神御自身以外には何もない『無』の寂しさを知るが故 飽くことを知らぬ無限の救済者なのです よって神の創造された 宇宙のありとしあらゆるものは 発展途上(創造過程においては)の『神』である 人間とは あらゆる英知とあらゆる善なるものを その内に宿す神殿の外郭である 私たちがふつう人間と呼んでいる 食べたり 飲んだり 遊んだり物を勘定したりしている人間は その人の本性ではない それは何ら尊敬に値する存在ではない 私たちが礼拝するのは その様な人間を自分の道具とし その行為を通して自分を表現しようとしている その人の心(魂)である 私たちは 人間のもう一つの面である 霊性すなわち神性について 何をさておいても追求 探究しなければなりません


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  (^_^) (^o^) (^-^) 主(神)という言葉を口にすると すぐ人々は自分を措いて外に主を探し始めるものですが 自分の外に主を求めた瞬間 私達は 吾が内にこそ主のいますことを忘れ去ってしまっているのです 人類は今日まで神を外に求めること あるいは神を外に見ようとすることによって 最大の誤ちを犯してきています 何故か それは まさに吾が内にあるものを外に探し求めるからです 自分自らが神であると明言すれば その都度 あなたはまさしく神になっているのです もしあなた方が例の強化増幅装置の前に立って 『神』という言葉を発するならば あなたがたの肉体は この言葉を発する前の波長に又とは戻らぬことを お目にかけることができます もう一つ 神という言葉が心をこめて用いられている本があれば その言葉のゆえに その本には一層の輝きが出ることもお目にかけられます (^_^) (^o^) (^-^) 東洋人はこと宗教思想に関する限り決して理論を弄(もてあそ)ぶことをしません むしろそれが理論でないことを事実によって証明するのです そのことによって彼はその事実そのものを成就し その事実の中に含まれている色々な可能性 (複数・その一、例えば、わたしたちは今まで自らを人間だと思い込まされてきた、 しかし事実は神である。その可能性)を成就するのです 東洋の哲人が喋々と理論を語っている姿を見かけることはありません 彼らの話の基礎は常に真実に置かれています この真実を キリストは『われと吾が父とは一つなり』と明瞭に啓示され 御自身と全体との一体性を貫き通したのであります これが成功をもたらした生き方に依って生ずる基盤であり 人はこの全宇宙と自分との一体性を悟り 且つその悟りを維持する程度に応じて 自分を地上の存在界に送り出したエネルギーを発揮するのであります これが 純粋宗教或は純粋形而上学の観点から適用した量子論の基礎であり 東洋の哲人たちが量子論に多大の注意を払うのもここにその理由があるのであります 東洋の哲人から見れば 世界の科学者は 幾千年もの長きに亙って保持されてきた東洋の宗教思想の根本に復帰しつつあるのであります (^_^) (^o^) (^-^) 宇宙膨脹説は 正確ではありません但し 宇宙が人間の想念の中で膨脹している むしろ人間が自分の宇宙観念を膨脹させているという点丈では正しくあります 宇宙は調べてみると何時も人間が想像しているよりは大きいのです しかし実は 宇宙はその人自身の観念に従って膨脹もし又縮小もしているのであって 宇宙自身が膨脹や縮小をしているのではありません何故なら宇宙は無限の総和だからです 宇宙と云えば一個の太陽系のことと考えている人が大部分ですが 太陽系なんか無数の太陽系より成る一宇宙の中の一細胞 一原子にすぎないのです (^_^) (^o^) (^-^) 宇宙生命力(プラナ)があらゆる状態 あらゆる原子を取り巻き且つ貫いていること この生命力を呼吸によって体内に取り入れ得ることは今日ではよく知られた事実です わたしたちのすべての行為をこの生命力に合わせ わたしたちの為す想念一切をこれに調和させることができるものです 『この生命力を呼吸によって取り入れ得る』というところに注意して頂きたい 呼吸とは云ってもただの呼吸行為によってこの宇宙生命力を体内に吸入するのではありません (訳者の体験では健康増進等の目的を以てプラナ呼吸をする時は、吸入の速度が余りにも緩やか過ぎると効果は極めて少ない。普通の深呼吸の速度よりやや遅目が最も効果的であるようである) 呼吸をしながらこのプラナに深い注意を払うのでなければ効果はないのです このプラナは物質的形而下の空気よりも極めて精妙なので 単なる肉体の生理過程の影響は全く受けません 丁度単なる肉体の呼吸作用だけでは電気を体内に吸入できないようなものです 勿論後者の場合呼吸する毎にある程度の電気が体内に取り入れられる事はあるでしょう プラナ〔宇宙に遍満する、超感覚的生命要素〕とも云われるこの宇宙力にもそういう場合はあります 処でわたしたちが何かに注意を払うと 注意を払われた対象はすべて心に印象づけられ次にはこの印象が観念となり 観念がやがて言葉となって外に出るものです これは一種の心の呼吸作用とでも云うべきものでしょう 一方わたしたちには自分という存在のあらゆる部分を完全にしたいという 「深き憧憬」とも云うべき「内的注意」がそなわっています「 外的注意」がこの「内的注意」と結び付くと 云い換えれば セネカのいわゆる『魂の窓』のように「内的注意」が何時も外なる宇宙の完全さに向けられると 周囲にある宇宙力(複数)の諸要素が自分の体内に入ってくるのであります 神秘家たちは一心集注が宇宙力を取り扱う際の成功の秘訣である事を常に教えています 『内なる息』と呼ばれるものを実現するには周囲の霊的〔超感覚的生命要素〕への深い 真摯な 一心不乱の注意と完全にゆったりした肉体と 一切を吸収せずんば止まざる関心と心の完全な開放とが必要であります これが即ち『魂の呼吸』云い換えれば『真我』をその故里の超感覚的生命要素 相互貫通する生命力 シュタインメッツのいわゆる霊的〔超感覚的生命要素〕の中へ拡大させて行くことであり かくしてプラナは一心集注の働きによって 人間の全存在の中に吸い込まれるのであります (^_^) (^o^) (^-^) もし人が合衆国の憲法に従い あらゆる人に生命と自由と幸福とを追究する権利を与えるならば 彼(表現者)は憲法以外のあらゆる法律に自動的に従うことになる筈である 最高の法則(愛=赦)に従うことは 自動的に他のあらゆる法則(ルール)に対する一切の義務を果たすことをも含む 宇宙の法則は愛である もし人が神と人との本来一体である事を自覚し 愛によって動くならば それ以下の法則に反することはしなくなるであろう その意味で 彼は無限に自由な 何物にも制約されない行き方を自然とするようになり これらの下級法則の現れによる束縛感は一切なくなるであろう (^_^) (^o^) (^-^) 人体は神を表現する手段であって 人間の知っている神霊を表現する手段としては最大最善のものです 只あなたの為にのみ各瞬間毎に神を表そうとして 体が此処に在るのです それは物質性 催眠現象 心霊現象を現す為でもなく 鬼面人を驚かす如き現象を見せる為でもなく 実に神のみ霊を表す為なのです あなたは神である あなたは一寸でも神より離れる訳には行かないのです あなたが神より離れる事を一切拒否するならば あなたは一切の物質的状態や心霊現象から解脱するでしょう これこそが 人間が唯一の存在 唯一の力〔神〕を領解し体得する方法であります すべては一つであり一つの力 一つの実在があるのみです あらゆるものがこの一つの力 一つの存在のもとにそれ自身の法則に従って作動しています それ自体は他のどの様な思想にも汚されることなく それ自身永劫不変のまま それ自身の完全なる領域において動いているのです(^_^) (^o^) (^-^)

 
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